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深淵を覗く者はまた、深淵に覗かれている。
先月3月8日はアマデュオスさんのお誘いで青山のPraca 11(プラッサオンゼ)へ遊びに行ってきた。この日はブラジルセッションというブラジル音楽を愛する人々が集って楽しむという素敵な集い。ホストはギタリストの助川太郎さん、ヴォーカリストの阿部かよこさん、ドラマーの黒田清高さん。
たとえ知らない曲でも勢いで演奏に参加する事が大事。というわけで自分もよく知らない曲に参加したけどやっぱりたどたどしく悲惨な演奏に…。でもこれこそが勉強なのだ。自分の番ではソ・ダンソ・サンバの譜面を持って行ったんだけど、その場でVo.やトランペットの方も参加してくれて賑わった演奏に。いやぁ楽しい。
それはヴォーカルのmyamも同じで、ギター一本の伴奏とはまるで違う音の海の中で気持ち良さそうに唄っていた。初めて会うような人達が互いに1曲の音楽を奏であげていく。改めて考えてもなんと素敵な事なのだろう。
Praca 11の熱い夜は全員でトリステーザを大合唱し幕を閉じた。音楽という共通言語の神的な力は、たとえ初めて出会う人とも一瞬で通じ合えること。そしてそれは一度でも体験してしまうと二度と抜け出せないほど愉しいのだ。

2011,04,19 | Dialy | comments (0) 応援する

海と生きる町に生まれて
前回ブログを更新した次の日、日本はとんでもない災害に見舞われてしまった。僕の生まれ故郷の気仙沼市も甚大な被害を被ってしまい、港のすぐ側にある僕の実家はかろうじて建物は無事だったけど家の中はぐちゃぐちゃで、自分の家のものではない瓦礫でいっぱい。家の前にはひっくり返った誰かの車も津波で流されてきており、改めて津波の凄惨な様相を窺える。

つい先日愛知にいる父が車で気仙沼まで家の片づけと様子を見に行ったけれど、結構な装備を持っていったにも関わらず殆ど何も出来ずに帰ってきたそうだ。水道や電気といった最低限のインフラも復旧していない現状では何もできないとのこと。それにまだ余震が続いている現状では素人の瓦礫除去など危険極まりない作業だろう。それでも何も出来ずに祈っているだけというのも辛いので自分も何か手伝おうかと言ったら父は「お前がブルドーザーでも持ってきてくれれば力になれそうだ。」と笑いながら言っていた。でも冗談ではなく実際にそのくらい酷い有様なのだろう。
三陸は2000年以上も昔から海と共に生きてきた地域。大変な試練だけどきっと誰も海の悪口を言う人はいない。それは海の素晴しさと恩恵を誰よりも知っているから。震災と津波で大切な人を亡くされた方々もたくさんいるけど、みんな辛い気持ちを堪えて一生懸命前に進もうとしている。それは「震災と津波で甚大な被害を被った町、気仙沼」としてではなく、「海を望む美しい港町、気仙沼」として人々の記憶に残してもらいたいと思っているから。
10年後、気仙沼は
「これが本当にあの激甚な被災をした気仙沼なのか?」
と言われるような進化を遂げていると確信している。
非力ながらもそのために自分に出来ることを考えていきたい。

2011,04,18 | Dialy | comments (2) 応援する
 
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