前回ブログを更新した次の日、日本はとんでもない災害に見舞われてしまった。僕の生まれ故郷の気仙沼市も甚大な被害を被ってしまい、港のすぐ側にある僕の実家はかろうじて建物は無事だったけど家の中はぐちゃぐちゃで、自分の家のものではない瓦礫でいっぱい。家の前にはひっくり返った誰かの車も津波で流されてきており、改めて津波の凄惨な様相を窺える。
つい先日愛知にいる父が車で気仙沼まで家の片づけと様子を見に行ったけれど、結構な装備を持っていったにも関わらず殆ど何も出来ずに帰ってきたそうだ。水道や電気といった最低限のインフラも復旧していない現状では何もできないとのこと。それにまだ余震が続いている現状では素人の瓦礫除去など危険極まりない作業だろう。それでも何も出来ずに祈っているだけというのも辛いので自分も何か手伝おうかと言ったら父は「お前がブルドーザーでも持ってきてくれれば力になれそうだ。」と笑いながら言っていた。でも冗談ではなく実際にそのくらい酷い有様なのだろう。
三陸は2000年以上も昔から海と共に生きてきた地域。大変な試練だけどきっと誰も海の悪口を言う人はいない。それは海の素晴しさと恩恵を誰よりも知っているから。震災と津波で大切な人を亡くされた方々もたくさんいるけど、みんな辛い気持ちを堪えて一生懸命前に進もうとしている。それは「震災と津波で甚大な被害を被った町、気仙沼」としてではなく、「海を望む美しい港町、気仙沼」として人々の記憶に残してもらいたいと思っているから。
10年後、気仙沼は
「これが本当にあの激甚な被災をした気仙沼なのか?」
と言われるような進化を遂げていると確信している。
非力ながらもそのために自分に出来ることを考えていきたい。