先日『気仙沼・記憶のかしこ~其の④』で紹介させて頂いた大島ですが
そこで島民の貴重な足となっている一艘の船『ひまわり』をご存知ですか? 先日ネットやテレビのニュースなどで放送されていて ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。 気仙沼港と離島の大島を往復する客船『ひまわり』の船長、菅原さんは 自宅で地震に遭った後、津波から船を守る為に愛船『ひまわり』に乗り込んで あえて沖に向かったそうです。 10mとも15mとも言われているあの日の津波にです。 “船を守る為には津波に向かって(直角に)行った方が良い” というのは聞いたことはありましたが、 悪い結果を聞く方が多かったのでこのニュースは驚きでした。 しかもこの『ひまわり』小型でかなり年季の入った船だそうです。 もちろん一歩違えば・・・決死の行動は奇跡へと繋がりました。 大島は本土に比べると被害状況の把握や物資の遅れなど 情報が伝わりにくく、つい先日まではプールの水をろ過して 飲み水にしていたり、食料も乏しい極限の状況でした。 そんな極限状態にある島民が本土へ避難する。 出来ればまた島に戻ってみんなで大島を復興させよう、 そう言って気仙沼本土に向かう島民に菅原さんは声を掛けていました。 (テレビで見ました) ■ まえ~ナラエ 島と本土を往復する船として船体に損傷を免れたのはこの『ひまわり』一艘だけ。 顔見知りが次々と島を後にする、やるせない気持ちを背負ったまま、 地震2日後から毎日、島と気仙沼港を往復し、人と物資を運び続けているそうです。 たった一艘で。ご自身も避難所生活をしているというのに。 ■ もっと遊んでぇぇ 今回の震災で各地で活躍した様々な英雄が報道されていますが、 ひまわりと船長の菅原さんは英雄と呼ぶに相応しいでしょう。 どうかご自身のお体にも気をつけて、ご活躍と大島の復興を 心よりお祈り申し上げます。 「いつも太陽の方を向いているひまわりが好きだから」と愛船命名の由来を語る 菅原さんの強く優しい気持ちが今回の奇跡を起こしたのだと思います。 (大島を救った『ひまわり』の記事はこちら) 地元が大島で震災後に島へ帰ってきて一生懸命に島の為に 動いているという若者も紹介されていました。 テレビで見ていただけだけど、その頼もしさに頑張れ! と応援せずにはいられませんでした。 今、多くの人が自分には何が出来るかと自身に問いかける中、 行動する事が出来る人、心より尊敬します。 |